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名古屋トライアングル project

街に仕組まれた幾何学構造・潜在力から、名古屋のまちづくりを思考する私論ブログ

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Kashiwa★da

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2007.01
28
歴史の皮肉である。


現代の名古屋繁華街と名古屋城との乖離については、K10D + Sigma 10-20mm F4-5.6 通学路に名古屋城

時代が進むにつれ、湿地帯への建設が進む。
明治24年の地図を見ると、
堀川の西北側・現在の城西(現住所地名の)地域に集落が見て取れる。



現在は勿論西と言わず、北と言わず、街が形成されていることは言うまでも無い。
深井丸から北を眺めてみよう。

K10D + Sigma 10-20mm F4-5.6 深井丸から北(堀端町)を見る

歩いてみても、なんとも穏やかな街の様子だ。
犬の散歩をする人、ジョギングをする人・・・
観光客はいないし、観光然とした様相もこれまた呈さず。
(但し、キャッスル・ホテルだけはド~~~ンとある・・・笑)

さて、K10D + Sigma 10-20mm F4-5.6 清洲櫓(西北隅櫓)

近代を経て現代・・・
「人を寄せ付けぬ為の湿地帯と水堀」 が、
何とも「ゆったりと時間の流れる親しみの空間」に生まれ変わっている。

外堀通で感じた様な、無自覚に造り足されてきただろうはずの
あの人を寄せ付けない殺風景さとは格別の違いを見せる。
素晴らしいじゃないか!!!

この親しみが、城の周りをグルリとすれば ・・・
そのグルリが、繁華街である栄、錦にスルリと繋がれば ・・・
んんぅ~、惜しいよなぁ! ねぇ!

07/02/02 追記

現在の城西(現住所地名の)地域は、
「享保十四酉年名護屋絵図」で、既に名古屋の街と一体になっている事を確認。
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