名古屋を訪れて真っ先に感じた事がある・・・・・
「商店街」が無い!今もその印象は変わらない。
勿論、名古屋にも多くの商店街はある。
・・・ところがこの街の不思議さは、「衣・食・住」の「食」をも賄う「商店街」に、
街中を歩けど歩けど、ほとんど遭遇しない事である。
(えっ大須? --- ん~、私の思う「商店街」とはちょっと違うなぁ)
○ 名古屋の商店街ホームページ :
金シャチ商店街店先で揚げたてのコロッケを食いながら(あぁ、端たないけどね)
夕餉の支度に慌しい「商店街」の道をブラリブラリすると言うような事も、
ここ名古屋では・・・・・・ないですね。
東京、或いは大阪で見るようなそんな「商店街」は、
何故名古屋にない(若しくは、なくなった)のだろうか?
○ 東京の商店街ホームページ :
東京の商店街○ 大阪の商店街ホームページ :
大阪の商店街
リンゴと高速
名古屋の中心部は戦災ですっかり焼けてしまったと聞く。
しかし、それは名古屋だけの事ではなかろうから・・・
結局、「人の往来が有るか無いか」に尽きるのだろう。
が、・・・人の往来が有るとすれば、
「何故そこに人の往来が有るのか」を探ってみなければならぬ。
即ち、各々の街の骨格が戦後にどう形成されたのかが鍵なのだろう。
さて、東京・大阪と名古屋の街に見られる違いは何だろうか?
昔からずぅ~と考えているのだが、
え~い、もう途中推敲部分は端折って結論を言うと、
「鉄道駅」の有無 に帰結しそうである。
つまり
「鉄道駅」と「商店街」は二つで一つのセット なのだ。
(日本特有の「駅ビル」は、そのセットを立体化したものと考えればよい)
そこで、三都市の地図を広げて見比べてみよう。
圧倒的に名古屋の街には鉄道駅が少ない事がわかる。
「車の街だから」ではなく「鉄道の街ではなかった」由の・・・
名古屋の「商店街」であろうと思う。
そう、戦後名古屋は「セット」を拒絶したように見受けられる。
地下鉄の駅があるじゃないかって?
そうね、でも・・・
地下鉄の駅が市郊外の住宅地まで延伸される頃(例えば、東山線は1960年代~)は、
駅前にスーパーをドンの時代に突入していたはず。
「商店街」を形成するには、時期を逸した観がある。
○ Wikipedia
名古屋市営地下鉄東山線
円頓寺商店街の金シャチ!
将来、都心回帰は本格化(民間企画、政治行政施策)すると思われる。
駐車場を造るより、「どう人の往来を作るのか」 が問われよう。
即ち・・・「商店街」が生き残るには 「セット」の相方を捜しなさい!という事だろう。
あぁ!往来でコロッケ食いてぇよなぁ!(えぇ、はしたないのは承知だけどね)