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名古屋トライアングル project

街に仕組まれた幾何学構造・潜在力から、名古屋のまちづくりを思考する私論ブログ

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Kashiwa★da

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2007.03
29
それは、前回 「 国土地理院 伊能大図彩色図 伊能大図 番号:115-部分拡大図に地名清書

※ 清書した地名は、私が手元にある資料とにらめっこして書き入れたもの、
  間違いがあるやもだが、ご容赦を。


流石に、江戸も200年も過ぎればドカドカドカ・・・と新田開発が進み、
宮の渡し は海から一段奥まってはいるのだが、
それでも未だ海に接している感覚は辛うじて保っているようにもみえる。

また、堀川 が描かれているのは (もちろんっ) 眼に留まるのだが、
更に面白いのはそこに記された 街道 である。

他にも街道はあるのだが、その中で選ばれてここに描かれた五つの街道・・・
江戸時代の名古屋の街の(実態的な)繋がりが垣間見えて非常に ウフフ である。


あいたっ・・・・・・今 「ウフフッ」 と口元が緩んだようで、
残念ながら勝負がついたようです。 はい、私の負けですね。

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2007.03
19
堀川については、これまでも思いつくままに幾つか書いてきた。
○ K10D + Sigma 10-20mm F4-5.6 ゆったり、のんびりと


この下流地域は、江戸時代からの新田開発によって形成されたようだ。

例えば、南区内の新田開発については、
○ 大同工業大学 - 地域情報:南区の地名 
  (注:現在、大学HPからは、リンク切れの様子。が、面白いページだったので紹介)

凡そ国道1号線より西側の地域のほとんどは、
江戸期から行われた数々の新田開発による土地と言ってよく、
また宮の渡しの対岸に位置する 「明治」 にあっては、
その名の如く明治時代の干拓だと言う。
○ 明治新田(めいじしんでん)
堀川と新堀川の分岐点付近より南、明治一丁目一帯を明治新田といった。ここは、明治十一年(1878年)小見山峰法により開築された。・・・
●上記リンクページ から引用

K10D + Sigma 10-20mm F4-5.6 「宮の渡し」 から 「明治」 を見る


一方、右岸についても
○ えーなも探偵団 白鳥橋周辺の史跡:熱田船方新田

現地名の千年(ちとせ)は、本来 「船方新田」 と言ったらしい。
成程、「船方さん」 に縁のある土地であったことがこれでわかる。
○ 白鳥橋周辺の史跡
白鳥橋を西に渡ると、千年(ちとせ)船方に入る。この地は、もと「船方新田」といわれ、延宝三年(1675)熱田の船手奉行・横井作左衛門が熱田新田の東で御船蔵の南にあった数十町歩の土地を下付せられ、船役人の自力をもって堤を築き開発した。・・・
●上記リンクページ から引用

K10D + Sigma 10-20mm F4-5.6 護岸の伸びた先に見えるのが「宮の渡し」

※ 但し何故 「千年」 と言う名になったかについては、
  ウェブ上ではなかなか捜せず・・・う~ん、気持ち悪い。
  ま、いずれボチボチと。

Google Earth をキャプチャー 国道1号は赤線上端部より西に曲がり熱田へ
(つまり、ここに写るほとんどが江戸時代からの埋立)




更にドンドンと下流へ・・・
するとそこからは、如何にもの埋立地様相を呈するようになる。

右岸は工場が、

K10D + Sigma 10-20mm F4-5.6 「お~~い」

K10D + Sigma 10-20mm F4-5.6 「お~~い」


左岸は、道路を挟んでマンション等が建ち並んでいる。
あぁ、ここでも両岸そろって・・・堀川との係わり合いは希薄だ。

K10D + Sigma 10-20mm F4-5.6 「お~~い」

ところで、写真に写るマンションは南を向いて建っている。
名古屋は、特に 「南向き」 に拘る土地柄だ。
故に、これはもう致し方ないのかもしれぬが・・・

もしも堀川が 東西に流れる川であったなら
本当に「もしもそうだったなら」なのだが、ここに・・・ 全く異なる風景を創出する(した)かもしれぬなぁ!

○ ウィキペディア(Wikipedia):ヴェネツィア
○ ウィキペディア(Wikipedia):アムステルダム

あっ、少々妄想が過ぎましたか?


さて、名古屋城からここまで歩いてきた。

結局、堀川に対してきちんと顔を向けている場所は、
「宮の渡し」~「千年」~「明治」
の元祖堀川ポイントとも言うべき一帯のみであることを再確認。

K10D + Sigma 10-20mm F4-5.6 堀川沿い、正面向いて並ぶ造船所

しかし、この姿が 「将来堀川の青写真」 になるかも!
あっ、また妄想が過ぎましたか?

・・・・・・
・・・・・・
・・・・・・

おっといけないっ!、、、
そうそう、堀川に顔を向けている場所をもう一つだけ!

K10D + Sigma 10-20mm F4-5.6 上記地図ポイントから

2007.03
16
川沿いにブラブラと歩いてみれば・・・
なるほど、堀川はその名の如く 川ではなく掘 であった。

物流の為に造られた川(堀)が、
その機能を失ったとたんの見向きもされなくなった有様に思う。
堀川は、時代を経て経て経て、、、そして、堀そのものに

K10D + Sigma 10-20mm F4-5.6 いつのまにか、風景も変わっていく

そんな堀川でも身近な雰囲気を感じられるようになるのが、
この国際会議場(センチュリー・ホール)のある一帯だ。

K10D + Sigma 10-20mm F4-5.6 正面に見えるのが、センチュリー・ホール

ここは、両岸双方に公園がある唯一の場所であり、



また歩行者専用橋によって両岸が繋がれているのも「なかなか」である。

Google Earth をキャプチャー 歩行者専用橋が二つ!

K10D + Sigma 10-20mm F4-5.6 こちらは、公園を繋いでいる熱田記念橋

K10D + Sigma 10-20mm F4-5.6 こちらは、下流側に架かる御陵橋


「なかなか」なのであるが、でも・・・である。

堀川への親水度となると、それはいたって希薄なのだ。
川に向かって階段を刻む一方で、柵を拵える。
このデザインには、どういう意図があるのだろうか。
う~ん、気持ちが空回りしてるなぁ!

K10D + Sigma 10-20mm F4-5.6 結局、柵は要るんだろうし・・・

例えば、京都鴨川を思い描いてみればよい。
鴨川で感じられるような親水性は、ここでは全く期待できないのがわかる。
鴨川の水位は膝くらいだっただろうか、
勿論だが川岸に柵を造るような無粋さはありえない。
だから、人が寄って来る(酔って来ることも多々)!

○ ウィキペディア(Wikipedia):鴨川
※ 記事中の「鴨チュー」は兎も角として、
  「鴨川等間隔の法則」 なる言葉は私の学生時代にもあったし、
  おそらく団塊の世代の人たちでも同様の言葉はあったと想像できる。
  ・・・ので、京都を知る者のほぼ全世代で通用するはず、ハイ。


さて、結局どう足掻いても・・・この場所のデザインは手詰まりなのだろうか?
NON,そこで私が思うに、
「こちらから近づけないならば、向こうを引き寄せろ」

K10D + Sigma 10-20mm F4-5.6 太夫堀への口が見える


さてさて、ほらっ・・・両岸に公園がある! でしょ。

「わんど」をご存知だろうか?
よく知られているのは、淀川のわんどである。
○ 淀川河川事務所:淀川のわんど




はいはい、色々と制約があるんでしょうけどねぇ。
しかし、親しみある水辺空間、且つ、堀川の浄化に繋がるような
(勿論小さなわんどだけで可能とは思わないが)・・・
・・・そんな公園であるならば、
この場所は正しく 堀川と共にここにある と言えるはずである。



*istDS + FA31mm F1.8AL Limited 「Bridge Over Troubled Water」

うん、堀川にこの歌を捧げましょうね。
○ Bridge Over Troubled Water - Paul Simon

When you're weary, feeling small,
When tears are in your eyes, i will dry them all;
I'm on your side. when times get rough
And friends just can't be found,
Like a bridge over troubled water
I will lay me down.
Like a bridge over troubled water
I will lay me down.

When you're down and out,
When you're on the street,
When evening falls so hard
I will comfort you.
I'll take your part.
When darkness comes
And pains is all around,
Like a bridge over troubled water
I will lay me down.
Like a bridge over troubled water
I will lay me down.

Sail on silvergirl,
Sail on by.
Your time has come to shine.
All your dreams are on their way.
See how they shine.
If you need a friend
I'm sailing right behind.
Like a bridge over troubled water
I will ease your mind.
Like a bridge over troubled water
I will ease your mind.
Simon & Garfunkel - Bridge over troubled water



Bridge Over Troubled Water
Bridge Over Troubled Water
1970 - Simon & Garfunkel
2007.03
08
名古屋を訪れて真っ先に感じた事がある・・・・・「商店街」が無い!
今もその印象は変わらない。

勿論、名古屋にも多くの商店街はある。
・・・ところがこの街の不思議さは、「衣・食・住」の「食」をも賄う「商店街」に、
街中を歩けど歩けど、ほとんど遭遇しない事である。
(えっ大須? --- ん~、私の思う「商店街」とはちょっと違うなぁ)

○ 名古屋の商店街ホームページ : 金シャチ商店街

店先で揚げたてのコロッケを食いながら(あぁ、端たないけどね)
夕餉の支度に慌しい「商店街」の道をブラリブラリすると言うような事も、
ここ名古屋では・・・・・・ないですね。

東京、或いは大阪で見るようなそんな「商店街」は、
何故名古屋にない(若しくは、なくなった)のだろうか?

○ 東京の商店街ホームページ : 東京の商店街
○ 大阪の商店街ホームページ : 大阪の商店街


*istDS + Sigma 10-20mm F4-5.6 リンゴと高速

名古屋の中心部は戦災ですっかり焼けてしまったと聞く。
しかし、それは名古屋だけの事ではなかろうから・・・

結局、「人の往来が有るか無いか」に尽きるのだろう。
が、・・・人の往来が有るとすれば、
「何故そこに人の往来が有るのか」を探ってみなければならぬ。

即ち、各々の街の骨格が戦後にどう形成されたのかが鍵なのだろう。
さて、東京・大阪と名古屋の街に見られる違いは何だろうか?

昔からずぅ~と考えているのだが、
え~い、もう途中推敲部分は端折って結論を言うと、
「鉄道駅」の有無 に帰結しそうである。

つまり 「鉄道駅」と「商店街」は二つで一つのセット なのだ。
(日本特有の「駅ビル」は、そのセットを立体化したものと考えればよい)

そこで、三都市の地図を広げて見比べてみよう。
圧倒的に名古屋の街には鉄道駅が少ない事がわかる。

「車の街だから」ではなく「鉄道の街ではなかった」由の・・・
名古屋の「商店街」であろうと思う。
そう、戦後名古屋は「セット」を拒絶したように見受けられる。

地下鉄の駅があるじゃないかって?
そうね、でも・・・
地下鉄の駅が市郊外の住宅地まで延伸される頃(例えば、東山線は1960年代~)は、
駅前にスーパーをドンの時代に突入していたはず。
「商店街」を形成するには、時期を逸した観がある。

○ Wikipedia 名古屋市営地下鉄東山線


*istDS + Sigma 10-20mm F4-5.6 円頓寺商店街の金シャチ!

将来、都心回帰は本格化(民間企画、政治行政施策)すると思われる。
駐車場を造るより、「どう人の往来を作るのか」 が問われよう。
即ち・・・「商店街」が生き残るには 「セット」の相方を捜しなさい!という事だろう。

あぁ!往来でコロッケ食いてぇよなぁ!(えぇ、はしたないのは承知だけどね)

太陽光発電でECO