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名古屋トライアングル project

街に仕組まれた幾何学構造・潜在力から、名古屋のまちづくりを思考する私論ブログ

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Kashiwa★da

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2007.02
22
名古屋城の脇から、堀川沿いに南に向かう。
「元祖堀川」の終点が、宮の渡し(七里の渡し)になる。

またここは、堀川と新堀川の合流地点でもある。

K10D + Sigma 10-20mm F4-5.6 右に宮の渡し、左奥に堀川に架かる大瀬古橋

東海道の宮宿~桑名宿は、海路が正規ルート。
従ってここ熱田と桑名には、この様な渡しが設けられたわけである。

 ※ ところで 「東海道新幹線」 と言えば、東京~名古屋~京都(大阪)だが・・・

   しかし 「東海道」 そのものは、
   名古屋をかすりもせずの(素通りの)往来であった事・・・
   これは、名古屋文化を見る時の一つの切り口になるのではないか!?!
  
   ・・・というような気がしている。
   (ちなみに、中仙道も現在の岐阜県を東西に貫く街道であるからして!)

話を戻そう。
現在はこの地に 「常夜燈」 と 「時の鐘」 が再建され、
「宮の渡し公園」 として整備されている。

K10D + Sigma 10-20mm F4-5.6 「宮の渡し」 常夜燈(左) と 時の鐘(右)

ところが、
この 「時の鐘」 はここを公園化するにあたって (都合よく、、、あぁ!) 設置されたものらしい。
元来は、街中の(熱田神宮門前)蔵福寺に置かれていたという。

私が 「熱田の街のズタズタ」 を感じるのは、正に・・・こういう時である。
諸事情があることはわかるが、在るべき所に在ると無いとではものの重みは全ぁっく違う。

 ※ 以前に書いた関連記事は、
   ○ Google Earth をキャプチャー


あっ、申し訳ないっ。
今回はそういう事ではなかった。

名古屋城からテクテク歩いてきた私は、
「元祖堀川」河口に掛かる大瀬古橋の真ん中に立って、そして・・・
目の前の堀川(と新堀川)を眺めたのである。

K10D + Sigma 10-20mm F4-5.6 左に宮の渡しとその奥が新堀川、右は堀川下流

これは広角レンズで撮っているので少々(笑)広大に写っているものの、
(※Exif情報によると17mm、35mm換算だと26mm 画角となりますね)
それでも補って余りあるこの 地場のパノっラマっ !!!

WOW~~~!!!

名古屋でこんな磁場持った所って、なかなかないんじゃない?



・・・・・
・・・・・
・・・・・
ま、ここはひとまず心落ち着けて、
渡しから港の方を眺めながら 「来るべき船が来るまで」 一服しましょかね!

K10D + Sigma 10-20mm F4-5.6 おおぅ、この先は眩しい位明るいぞっ!

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2007.02
09
熱田の街を歩く。
まさしくここは、現在の名古屋の街の縮図である。

熱田の街が名古屋に編入されたのは、明治40年(1907年)のことだ。

さもありなん・・・明治24年の地図を見れば一目瞭然。
熱田と名古屋は、両脇にポチポチと家が立ち並ぶ一本の街道で繋がっているだけで、
全く分離している。誰が見ても別の街である。

ところで、熱田の街とは?
Wikipedia:宮宿(熱田宿)

おそらく明治も後半に入り、名古屋の街は徐々に拡大し始めたのであろう。
現在の街の姿はというと・・・

Google Earth をキャプチャー 今も交通要所に変わりなし!

熱田の街をU字型に囲むように、堀川と新堀川が流れる。
新堀川は神宮の東を流れていた精進川を運河化、明治43年に完成している。
(堀川については、以前の記事 K10D + Sigma 10-20mm F4-5.6 「伝馬町、旧東海道」・・・とうせんぼっ!

写真の場所はここ。



う~ん、何とも痛々しい!
いくらなんでも、(歴史ある)一つの街をここまで木っ端微塵に ズタズタ にしなくてもっ!

2007.02
04
危く通り過ぎてしまう所だった。

以前、バス停に地図がないっ!と書いたのだが (K10D + Sigma 10-20mm F4-5.6 発見!地図付きバス停だ!

模式図でなく、スケール持った地図ベースなのもよし!
これなら、知っている地名を基に、場所を掴めます。

親しみのある街・・・
「自分の居場所の把握のしやすさ」も大事な要素。

バス停でそれが可能なら、これほど手軽で面白い都市装置は他にないでしょう。

2007.02
03
問) 「堀川」って、いったい何よ?

名古屋城築城の為に造られたのが、「堀川」なのだが・・・

Wikipedia:堀川

ではあらためて・・・
名古屋の街は、家康の命により一気呵成に造られた街である。
それまでの尾張の中心都市:清洲の街をごっそりと、築城に併せて街ごと引越させた。

これを「清洲越え」と言う。
これらの移動は、当然だがこの 堀川をドンブラコ である。

即ち、この運河がなければ、
新都市名古屋は生まれてもいないし、その後の発展もなかった・・・

と言っても過言ではない程の物資の大動脈だったのが、「堀川」である。

名古屋の住人なら・・・
「控えおろうぉ!このお方を何方と~」と言われたら、
「ハハァ!!!」と土下座する位の謙虚さをもって接するが宜しい。
それは、正しい名古屋人である為の其の一。

答) 「堀川」は、その出生からして名古屋の孵化装置であり、
且つ、その後も街の生命維持装置として機能したそれはそれは有難い存在さ。

K10D + Sigma 10-20mm F4-5.6 はい、五條橋も清洲越えっ!

その、五條橋はここね。



ところで・・・

熱田の街・・・
熱田神宮の元で発生したであろうその街の、その歴史は古いはず。
当然、堀川を造る時の基点として目が付けられる。

Google Earth をキャプチャー 「急がば廻れ」の、五条川-新川-堀川ルート

果たして、堀川はその熱田の街を足元に、名古屋城に向かって掘削された。

 但し、明治24年の地図を見ても・・・
 この堀川が、街形成の核となっている様な都市型には見えない。

 熱田(宮)及び名古屋の街を繋いではいるのだが、
 其々の街の西の外れに流れている、と言う位の感じである。
 あくまでも物流経路としての裏方的存在だったのだろう。

 街中に取り込まれていくのは明治24年以降、
 大正~戦前にかけてのことと思われる。

現代の街は、
歴史的価値や地勢的価値を持つ要素の使い方の上手い下手
その街の魅力が全然違ったものになる事を・・・・・
私達は知って(しまって)いる。

例えば、熱田という街を思い描いてみるだけでも・・・
熱田神宮、東海道宿、宮の渡し(七里の渡し)、そして堀川・・・・・

さて、昨今その「堀川」の見直しも少しづつ進み、
屋形船の就航納屋橋での遊歩道設置等、
目に見える街造りがなされるようになってきた。

K10D + Sigma 10-20mm F4-5.6  秀吉は、堀川なんて知らんでしょ!

が、 「清洲越え」並みの 大胆な試み・都市計画が欲しいなぁ!

何しろ「物資の大動脈」・・・・・水路とはいえ これは道 だ!
もぉっと大胆な ドンブラコ、ドンブラコ を見てみたいもんだ!

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