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名古屋トライアングル project

街に仕組まれた幾何学構造・潜在力から、名古屋のまちづくりを思考する私論ブログ

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Kashiwa★da

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2010.04
04
尾張名所圖會 (図会) 」 は、天保十五年 に前編が出版されている。

 - 「 天保 」 は天保の改革で馴染みのある年号だから、いつ位前なのかは判りやすいだろう。
 - 意地悪せずに、西暦で言えば天保十五年は1844年だ。高々166年前のこと。
 - で、 「 尾張名所圖會 」 とは、高々166年前の名古屋観光ガイドなのだ。
 - ・・・
 - ちなみに、享保の改革、寛政の改革、天保の改革、平成の改革が
 - 近世~現代日本の四大改革だと言われている。( 尤もらしいけれど嘘 )

塩付街道-駈上 塩付街道 - 駈上から新瑞橋方向を見る
  K10D + Sigma10-20mm/F4-5.6 - 20mm F11

そもそもは 塩付街道 について考えてみようとしていた。
が、成るべくして成ったと言うべきか 新瑞橋 について思うまま書いてしまうことに。

 - 「 塩付街道 」 の情報は、昭和区辺りはいろいろと溢れるようにあって助かるのだが、
 - 南区、特に「 新瑞橋 」 近辺にかけては不明点の多い情報が多くて困った。
 - なかなか頭の中で街道のイメージを作れないのだ。

情報の無さもあり、模索して得た私なりの考えを以下のものに書いた。

 ○ 新瑞橋 「 新瑞師長ビーチ 」
 ○ 山崎川 - 新瑞橋:落合橋~山崎橋
 ○ 名古屋階段 其の壱 ・ 呼続
 ○ 高台にあった呼続と干潟の海

ところが、偶然に 「 尾張名所圖會呼続浜古覧 」 なる画を見直すことに。


呼続浜古覧
 呼続浜古覧
  Network2010 サイトより
 - サイトのリンクはこちら。
 - ○ Network2010 > 名古屋をとりまく歴史街道 > 東海道 > 宮宿  > 呼続 の項目
 - ・・・
 - いやいやこの画を知っていたらな~んにも苦労せずとも!だったのだが、
 - 苦労した分だけ私の推察は確信へと変わった。 ・・・ とっても嬉しい

その題は 「 呼続浜古覧 」 の名ではあるのだが、画を見れば即頷けるように、
これこそは 新瑞橋近辺~南区 にかけての 「 塩付街道 である。

 - 松巨嶋(現在の南区)はまるで馬の背の如き塩の道、現在の地名は 「 駈上 」 だ。

この画が示す場所の、現在の地図を見てみよう。

 塩付街道と東海道 南北反転
  ゼンリン地図 いつもNAVI 参照加筆

呼続浜古覧 」 は、瑞穂野球場上空辺りから南を望んだ風景を描いているが、
ここに、・・・ 
松巨嶋 を走る二つの大きな街道が名古屋の町と結ぶには、
島北に伸びるの二つの岬のみでしか為す術を持たなかったことが伺える。

 - 地図に加筆の 緑線が 「 塩付街道赤線が 「 東海道 である。
 - ・・・
 - 「 桜 」 より南は、時代が下ると共に変遷していったようで勉強不足。
 - その 「 桜 」 の地名だが、谷や挟間を指す 「 さく、くら 」 から転じたものだと言う。
 - 確かに瑞穂から見れば、高低差もだが水平的な地理的に於いてもそんな場所だ。

島が接している白浜は、今の平子辺りということだろうか。
そして、山崎川 河口の先に拡がるのが 呼続浜 、画の左に拡がるのが 鳴海潟 だ。

 - だが、いくら眼を凝らしてみても新瑞橋は勿論のこと、落合橋の姿さえ無いんだな。
 - と言うことは、以前ちょっと想像した旧瑞橋なんてもんも絶対に無いですわね。
 - そして ・・・ あかのれんもピアゴもイオンも海の上。

・・・・・・
・・・・・・

では、その名も 「 駈上 」 を駈け歩いて参りましょう。

塩付街道-秋葉神社 秋葉神社
  K10D + Sigma10-20mm/F4-5.6 - 15mm F11

昔の岬の突端には、集落 ( 郷 ) の出入り口に必ずみられる 秋葉社 が今も現存。



大きい地図・ルート検索  ( powered by ゼンリン地図 いつもNAVI )


街道をしばらく駈け歩けばほどなく平坦な道になり、
ちょうど桜本町駅の東に位置して 鳥栖 ( とりす ) 神明社 が姿を見せる。

塩付街道-鳥栖神明社 鳥栖神明社 ( 南から北を見る )
  K10D + Sigma10-20mm/F4-5.6 - 10mm F11

おそらく古の街道からはチラチラと水面の波頭をも拝めたのであろうが、
今は水面などこれっぽっちも望むべくもないので一応お参りをして、
「 いい女がウジャウジャ、お金がザクザクになりますように! 」 ( 嘘 ) 歩みを進める。

塩付街道 もうすぐ、鯛取通
  K10D + Sigma10-20mm/F4-5.6 - 12mm F11

鯛取通を越せば元桜田町、そこを西に新郊通を渡れば 桜神明社 に辿り着く。

塩付街道-桜神明社 塩付街道 - 桜神明社
  K20D + Sigma10-20mm/F4-5.6 - 13mm F5.6

更に西へ歩みをすすめると、街道初期の起点であったろう 富部神社 がある。

塩付街道-富部神社 塩付街道 - 富部神社
  K20D + Sigma10-20mm/F4-5.6 - 20mm F5.6

・・・・・・
・・・・・・

なお、「 尾張名所圖會 (図会) 」 に関しては、
現在の風景を撮り廻られているブログがあるのでリンクを貼っておきたい。

 ○ 尾張名所図会を巡る

また 「 尾張名所図会 : 絵解き散歩 」 なる本も出版されている。
残念なことに 「 呼続浜古覧 」 は載っていないのだが、興味ある人には手軽な一冊だ。

尾張名所図会 絵解き散歩 (爽BOOKS)
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・・・・・・
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では最期に、私と同様に ・・・
「 いい女がウジャウジャ、お金がザクザクになりますように! 」 ( 嘘 )
な方のために、これが鳥栖神明社の社。拝むも八卦、拝まぬも八卦。

鳥栖神明社 鳥栖神明社
  K20D + FA77mm Limited/F1.8 - F2.8
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2010.02
05
松巨嶋 呼続の町を走る名鉄電車
  K10D + Sigma10-20mm/F4-5.6 - 12mm F11


このところ、新瑞橋から始まって塩付街道や年魚市潟など南区絡みに終始している。
何よりこの南区がかつては一つの島だったということが強烈に面白い。
元々名古屋の街に縁のなかった私にとって、それは知れば知るほど・・・な感覚でいる。

・・・・・・
・・・・・・

島の名が 松巨嶋 だった証を熊野三社で見つける。

松巨嶋 松巨嶋の名が刻まれた手洗
  K10D + Sigma10-20mm/F4-5.6 - 11mm F11



大きい地図・ルート検索  ( powered by ゼンリン地図 いつもNAVI )


ここ熊野三社の西を南北に走る道が 東海道 だ。

 - 新郊中の東隣は呼続小だが、そこで逆くの字を描いている道ね。

実際に東海道を歩いてみて直ぐに判るのは、標高の高い地点を結んでいることだ。
そして、これは至極当り前なのだが、
熊野三社 もその西にある 白亳寺 や北にある 法泉寺安泰寺 も高台に置かれている。

 - 東海道、熊野三社の西側がガクンと土地が落ちているのは、
 - ○ 名古屋階段 其の壱 ・ 呼続 を見てもらえば明瞭だろう。
 - ・・・
 - 白亳寺に至ってはその北~西~南側の三方がかなり急な段差を持ち、
 - 唯一東側だけが鎌倉街道で同程度の標高を保っている。
 - ・・・
 - また法泉寺の高台は東海道が接する南西~北側が、
 - 安泰寺は北~東~南側が落ちている。

これらの高台から落ちている土地は、
ほんの150年前までは海であったと考えていい。


では、ちょいと散策してみよう。

松巨嶋 東海道から西を見る
  K10D + Sigma10-20mm/F4-5.6 - 20mm F8

道の前方にある家々や白いビルが低い位置にあることが見て取れるだろうか。
白いビルの左、電柱の背景に木々が伺えると思うが、そこが白亳寺だ。

 - 上記地図に大山商店の文字があるが、その西側になる。


松巨嶋 鎌倉街道から白亳寺を
  K10D + Sigma10-20mm/F4-5.6 - 20mm F11

  - 松巨嶋 白亳寺の北側は坂道
  -   K10D + Sigma10-20mm/F4-5.6 - 17mm F11
  - 
  - 松巨嶋 白亳寺の南側
  -   K10D + Sigma10-20mm/F4-5.6 - 10mm F11

・・・・・・
・・・・・・

その白亳寺には以前書いたように万葉の歌碑がある。

松巨嶋 万葉集 1163
  K10D + Sigma10-20mm/F4-5.6 - 10mm F11

年魚市潟 潮干にけらし 知多の浦に 朝漕ぐ舟も 沖に寄る見ゆ

おそらくこの場から遥か知多の半島が、
そしてまた干潟の先に浮ぶ舟々が望めたのだろう。

 - 潮が引いて朝出た舟が沖に避難したんだと。そう、何しろ干潟だからね。
 - こりゃなんともエコな風景ではないか。潮風も心地良さそうだ。

松巨嶋 年魚市潟を観るならここから
  K10D + Sigma10-20mm/F4-5.6 - 10mm F11


  - 松巨嶋 ・・・ だった
  K10D + Sigma10-20mm/F4-5.6 - 10mm F11

・・・・・・
・・・・・・

さて東海道に戻って北に歩こう。道が徐々に下っていくのが判る。
熊野三社を過ぎてちょっと下ると、右に坂道が見える。
 
松巨嶋 法泉寺への坂道
  K10D + Sigma10-20mm/F4-5.6 - 16mm F11

法泉寺がかなり高台にあることがわかるだろうか。
この法泉寺前の細道を過ぎ、クネクネと歩いていくと歩行者専用の陸橋が。

松巨嶋 路地鉄橋、まるで
  K10D + Sigma10-20mm/F4-5.6 - 20mm F11

珍しい光景にちょい嬉しい。渡った先は安泰寺である。
元々は橋などなくて地続きの高台だったはず。

松巨嶋 見返し
  K10D + Sigma10-20mm/F4-5.6 - 14mm F11

・・・ なのは、ここに名鉄が走っているからだ。

 - 線路敷設の為に切り通したのは誰が見ても明らか。

ちなみに冒頭の白黒写真もこの橋から南を見た景色である。

松巨嶋 名鉄電車が走る切通し
  K10D + Sigma10-20mm/F4-5.6 - 10mm F11

・・・・・・
・・・・・・

ところで、ちょろちょろとこの呼続の町を歩いてみて感じるのは、
山村の道ではなく、正に 漁村で形成される道 の感覚があることだ。嬉しいねぇ。

 - しかし、こういう環境でもユニバーサルなプレハブ住居が蔓延し
 - どうにも強圧的に均一環境へと集束していく姿を眼にするのは甚だ寂しいもんである。

あぁそうだ、この道はかつて線路向こうの道と繋がっていたんだよな、絶対。 ではまた!

松巨嶋 線路を渡り、呼続の高台を見る
  K20D + FA77mm Limited/F1.8 - F2.2
2007.05
26
明治末期の地図を眺めれば ・・・

明治43年名古屋市地図 明治43年名古屋市地図

今に続く 街の骨格 が、既に形作られている事に気付く。

- 碁盤目構成を生かしたまま、
- 完全に街を横断(貫通)した広小路は、
- その勢いを買って益々東へと伸びていく様子が伺えるし、
- また大津通は広小路以南が拡幅され、
- 本町通と併せ熱田の街との連絡が蜜になっている。

それらの幹線道路と、そして新設された新堀川の存在が、
街の 南東部への急速な拡がり を促したことは確かだろう。

その結果、東海道線と中央西線で囲まれた名古屋の街は、
既にその 囲みの中ではち切れんばかりの状態 に成長している。

・・・・・・
・・・・・・

この囲いが打ち破られるのは、成程時間の問題なのだが、
この時の、この パンパンの城壁都市の如き都市様相 こそは、
・・・私にとって、とっても示唆に富んだ 「そうか、なるほどな!」 であった。

K10D + DA 16-45mm / F4 ビュンッ!

はい、ピカピカピカッと、
・・・・・・
名古屋の街の骨格が ・・・ 眼の前に ・・・ 見えたのだ。

ようやくだけれど、・・・それは次回。
2007.05
23
明治33年に、名古屋の街は鉄道によってグルリと囲まれた
- 前回記事 ○ K10D + Sigma 10-20mm F4-5.6 高さ制限2.2m(金山駅そば) 

西は東海道線、そして東は中央西線。

おそらく鉄道の敷設が、全ての市民に諸手を挙げて歓迎された訳ではない。
従って街の際ギリギリということは無く、
と言うよりは、市街地から大きく距離をとって(現在東区は除く)敷設された。

そうなのだ、ここでやっと私は気付いたのだが ・・・

近代化に向けて産声を上げた当時の そもそもの名古屋の街 がそこに示される。
その そもそもの名古屋の街 は、
今の姿からは全く想像できない程にかなりちっちゃ~いのだ。


ではさっそく、先日「・・・メッケ」と書いたサイト:映像で綴る名古屋の400年 にある
明治20年と43年の地図を見てみよう。

○ 映像で綴る名古屋の400年
  - 映像で綴る名古屋の400年>明治時代>資料で綴る名古屋の明治時代>拡大地図


例えば、明治43年の地図に、
精進川の付替えによる新堀川を眼にする事ができるのだが、
これもおそらく当時の街外れの、その市街地の際に寄り添うように引かれたはずである。

・・・・・・
・・・・・・

ところで、その後の名古屋の街の発展への契機と言えば、
それはやはり・・・千種駅の開業 だろう。

Google Earth をキャプチャー + 加筆 中央西線 × 飯田街道 = 千種駅

- この駅は、広小路を東に延長させた線上に位置しているのだが、
- 最初から広小路を意識していたのかどうか・・・
- ・・・・・・
- むしろ、東方への主要路であった 飯田街道と交わる場所
- という意味合いの方が大きかったのではないだろうか・・・

*istDS + XR Rikenon 50mm / F2 広小路から南方向を見る

しかし、まぁ・・・
現在の久屋大通の位置で愛知県庁舎に突き当たっていた広小路は、
・・・(現在見られるように)・・・
明治35年に県庁舎をどけることによって 東へと延長
また翌36年には「 ~千種駅 」 市電も開業する(既に廃止) こととなる。

○ 名古屋市:広小路通の歴史
○ 愛知県庁舎の歴史 昔の庁舎

K10D + Sigma 10-20mm F4-5.6 高さ2.2m通行路(戦後工事)の中から


この時広小路は、名古屋駅と千種駅という街の端と端を結びつけた

それはもう図ったように 街の中心を横断する往来 にパワーアップし、
その後の名古屋の街を牽引していくことになる。
そしてまた、街の活動域は 南北軸から東西軸へ と重心を移していくのである。
2007.05
20
名古屋の 街の西のはずれ に、
文明(鉄道)開花 の波が押し寄せてきた様子は、前回までの記事で。
○ ALPSLAB をキャプチャー + 加筆 2つの「名古屋~大阪」開業



さて、以前の記事中でリンクした
○ 鉄道博物館 収蔵資料紹介 にも記されているように
当初の 「東京~京都間幹線鉄道のルート候補」 であった中山道ルートだが、
・・・・・・
・・・・・・結局、この地でその路線が開業し始めるのは、
東海道全線開通(明治22年)に遅れること11年、
明治33年の 「名古屋~多治見」 である。

10● ~1900年(明治33年)7月25日
ALPSLAB をキャプチャー + 加筆 ようやく「名古屋~多治見」

ここで面白いのは、そのルートが本来の「 中山道 」ではなく、
名古屋の街を囲い込む形 で、
大きく南に迂回して名古屋駅に接続している事だ。

K10D + Sigma 10-20mm F4-5.6 当時は、東の街はずれ

それも、金山(現在の)~名古屋間は、
当初より二線(東海道、中央)が並んで敷設されている。
・・・・・・
・・・・・・なるほど!、開業時の駅は、千種駅、勝川駅、高蔵寺駅、多治見駅で、
この中で 名古屋市内の駅は千種駅のみ なのである。

※ ちなみに、現在中央本線:名古屋市内の駅は、大曽根駅、千種駅、鶴舞駅、金山駅である。
  * 大曽根駅は明治44年 「フムフム、なるほどね」
  * 鶴舞駅は昭和12年 「あぁ、戦前かぁ」
  * 金山駅は昭和37年(東海道本線は平成元年) 「ありゃ、つい最近なのね」  の開業。 

K10D + Sigma 10-20mm F4-5.6 鶴舞の歩道橋から見る中央本線、上は名古屋高速

先に示した中山道ルート:中央本線(中央西線)が直に岐阜に接続せず、
この地方の中心都市たる名古屋を経由することの必然は、時の流れから理解できる。

- ただ前日記したように、私はダーウィン進化論的思考をしてしまうので(笑)
- この中央本線(中央西線)が、「 中山道 」そのままに、直に岐阜に接続していたならば、
- 当然、この地方の様相も全く異なっていたはずである、もちろん。

K10D + Sigma 10-20mm F4-5.6 中央本線 × 新堀川

その後、中央本線(中央西線)は、
「名古屋~多治見」の2年後に現在の中津川まで延伸している。

11● ~1902年(明治35年)12月21日
ALPSLAB をキャプチャー + 加筆 中山道ルートへ

K10D + Sigma 10-20mm F4-5.6 現在、千種~大曽根間の殆どは掘割式

K10D + Sigma 10-20mm F4-5.6 同上、戦後の工事のようだ

・・・・・・・
・・・・・・・
・・・・・・・

ところで、そのルートが名古屋経由であるにしろ、
名古屋の街の北側を走らずに、わざわざ街の南側に回り込むことの意味は・・・



●名古屋駅に 関西への進路方向(北向き)で接続 する必要、
●街の西端の名古屋駅の東方、広小路の延長線上に
 新駅(千種駅)を設置すること(つまり、挟み込みね)による 街の活性化期待
●街の北側(=名古屋城の北側)の 地盤の問題

等が考えられるのだが、果して如何だろうか。

太陽光発電でECO