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名古屋トライアングル project

街に仕組まれた幾何学構造・潜在力から、名古屋のまちづくりを思考する私論ブログ

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Kashiwa★da

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2012.10
16
もう20年近く前になるだろうか、実は私が始めて出合った 「名古屋階段」 がこの階段である。

 - あぁ、月日の流れのなんと早いことよ!

その場所はといえば、この青い円で示した場所になる。
・・・
上図で左端のちょうど真ん中に「美術館」の文字が見えると思うが、これは「古川美術館」のことだ。
この道を西に進めば池下の地下鉄駅に当たる。


  末森-階段2 地図
   - 左上に示した薄水色の円で示した場所は、前回記事「末森-階段1」のある場所

・・・・・・
・・・・・・

2度目の名古屋で度々飲んでいたのがその池下であって、
おそらくその日も春のうららかな日和に誘われて、夜も遅くまで池下で飲んでいたんだろうと思う。
・・・
家は名東区である。さて帰ろうにも地下鉄は既に無い。財布の中はスッカラカン空っぽだ。
ヨロヨロの足取りで池下から東に向って歩き出す。
途中の坂道に喘ぎながら日泰寺の外縁を廻り込み姫池通を渡る。

 - ここもだが、名古屋の街はブロックを跨ぐと道路名が変わるっていうのが実に嫌らしい。
 - この道は 「田代本通」 じゃいかんのか!と常々思う。

渡ってまた坂道、登り坂。
しかし春の優しい香に包まれ、懐かしい小路を歩いているような気分でいたことを思い出す。
時刻は既に日を跨いでいる。街灯が僅かに灯っているだけの見も知らぬ夜路。


 末森-階段2
   - 左右に横切る道は前回触れた末森城から北に延びている尾根道


と、突如現れたのだ、ズドドドド~ンと。 階段が!!!
暫し呆然、・・・ しかし暖かな香の春に包まれ、見とれて立ち尽くしていた。


 末森-階段2
   - 突如眼の前に現れた The 階段 !!!


中央にある手摺は当時もあったのかな?、流石に記憶にはないのだが、
この緑が覆いかぶさっている情景は当時のままのように思う。

・・・・・・
・・・・・・

迂闊なことは言えないが、この階段の歴史はそう古いものではないだろうと想像する。

 - 前回書いたが、昭和8年時に目ぼしかった道が上の地図の薄いピンク色で示した処。

地図上右端に名古屋気象台があるのが見えると思うけれど、
この気象台が南武平町からこの地に移ってきたのが大正12年 (1923年) のことと言うから、

 - 気象台は周辺の影響を極力受けないところに設けられる。
 - ・・・
 - 南武平町がどこか?だろうが、今の愛知芸術文化センター辺りらしい。

末森城の東に広がる現在の春里町や日和町、また徳川山町辺りが開発されたのは時代も下り、
昭和も暫くしてからのことではないかと想像する。
・・・
それらの町がそこそこ出来上がり山裾を縫うように道が出来たところで、
その道に取り付くようにようやくこの階段が設らえられたと考えるのが自然であろう。


 末森-階段2
   - 路面に見えるTの字がわかるだろうか。


これが現在、山裾東側を南北に走っている道である。
路面Tの字の場所に黄色いポールのミラーがあるが、そこが階段の取り付きだ。
・・・
階段が見える位置まで行ってみよう。


 末森-階段2
   - 実はこの写真、5年前の夏に撮ったものだ。


ミラーと階段中央の手摺が無い姿を想像してみたい。
・・・
緑が茂る木々の中にポカンと穴が空いて、そこに実にさり気の無い階段が取り付いている。

 - このさり気無さ、人工物であることを忘れてしまうなぁ。正に 「自然との共生」 だ。


 末森-階段2
   - 階段を1/3程登り下の道を見下ろす。


 末森-階段2
   - 趣あるなぁ、瓦塀。



今はまだ両脇敷地に開発の手が伸びていないことが何よりの救いではある。
・・・
いつまでこの風情が残るのかどうか知る由もないけれど、
もし止む無く開発の憂き目にあってもこの階段のこの空間だけはなんとか活かしてもらいたいと願うばかり。

是非生き延びて欲しいぞ ・・・

 末森-階段2 ・・・ 僕の好きな階段 ♪


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2012.07
01
街の中心部から 広小路を東へ 進み、覚王山も過ぎれば 末森 の地がある。

 - 町名としては 末盛 の名で残る。

前回書いた 蝮ヶ池 (池下) からこの 末森 にかけては起伏のある地形が続くが、
このことは前回記事で江戸期の絵図を元に前回述べた。興味あれば参照して頂ければと思う。

 ○ 名古屋階段 其の弐 ・ 蝮ヶ池

そうような地である。戦国時代に信長の父、織田信秀が東方への防御のため城を築く。
・・・
城そのものは短命であったが、未だ残る空堀が直に見れる城址として城好きには知られた存在である。
周辺より小高くなっているその地には、現在 城山八幡宮 が鎮座している。

城山八幡宮 境内から二の鳥居を見下ろす


その末森城については ○ Wikipedia : 末森城 (尾張国) などを参考できるが、
この地の地理的な要素に関心を向ければ、当該 城山八幡宮 の公式サイトが最も詳しそうだ。


   城山八幡宮_公式サイト  ○ 城山八幡宮 公式サイト > 御由緒ページ


末森城古図 (北を上にしてある)や江戸末期の 末森城址画 等は、古の姿を垣間見るのに十分である。
・・・
末森城古図に描かれている縄張りは現在の境内図にかなり整合しているし、
末森城址画に見られるこの地の地形の様子など、画を見なければ到底わからないものがある。

 - 画はおそらく丸山神社あたりから眺めた風景であろうか。

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さて今回の 名古屋階段三つ目 となる肝心の階段は、これだ。

 - 「名古屋階段」 は一般道にある階段を拾い上げたい。故に冒頭に揚げた参道階段は適応外だ。

末森-階段1 城の空堀の外縁をぬうように


ここで上に紹介した 末森城古図 を再度眺めてもらいたい。
・・・
末森城の西側空堀の外縁に沿いながら北東に伸びていく尾根道がある。
この尾根道が、西側の南北に走る谷道に取り付くようにこの階段があることが判る。現在地図に示す。


   末森-階段1 地図
   - 左上に示した薄水色の円で示した場所は、前回記事階段のある場所


ところで、この末森の場所は今の様な開発に至る以前はどうだったのだろうか? 
気になるところである。そこで地図上に昭和初期にあった道をピンクの線で落としてみた。

 - 参考にしたのは、Network2010 というサイトの次のページにある地図だ。
 - ○ Network2010 - 昭和初期の名古屋「配水池及配水塔(東山給水塔)」
 - ・・・
 - ページ中程にある 「昭和8年頃の名古屋」 の 「周辺拡大図」 を参考にする。
 - 厳密に落としたわけでもないし、私の推測によるものもあるので許されたい。
 -
 - - Network2010 は度々ペ-ジ改変をやっているようで、
 - - 以前あった明治、昭和初期の地図がどこに行ったのか、探し回るがわからなかった。
 - 
 - ・・・・・・
 - ・・・・・・
 -
 - ついでに、
 - 昭和初期の広小路(末盛通)の写真を見つけたので、個人ページだがリンクを貼らせて頂く。
 - ○ TEL旅 > 旅トップ > 愛知トップ
 - 3/4 程ページを下がった辺りに「昭和初期の本山~覚王山」の黄色に変色した写真が掲載。
 - ・・・
 - どう見てもどこかの農村の一本道という風情である。
 - 
 - - 元の写真がどこかにあるかと検索したけれど捜しきれなかったので、このページのお世話になる。

この階段、地図で確認しなければ茅葺門のある建物へのアプローチ道に錯覚してしまいそうだ。
一段一段、足を進める。

末森-階段1 遊んじゃいけないそうだ。

30数年前に始めて訪れた嵯峨化野の地形、おぼろげな記憶の底に眠っていたその雰囲気を思い出した。
階段を上りきると、城山八幡宮へと続く道が眼の前に現れる。

末森-階段1 右手は今に残る空堀

振り返ってみよう。

末森-階段1 チラリと下の道が

この階段がずっと古からあるものなのか時代が下って作られたものなのかとんと不明ではあるが、
今ある安っぽいガードレールをどうにかすれば、滅多に味わえない散歩道になること請け合いだろう。

末森-階段1 電燈ポールもいただけないな

2010.05
19
名古屋の街は明治期に周辺集落を取り込んでいくが、
それ以前の ( 元々の ) 名古屋の街の地勢はほとんど起伏を持たない。

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名古屋の街の中心から東へ進んで、JRの線路も過ぎると、

 - JR中央線は名古屋の街を囲むように敷設された。

地図右に川名川の名で流れているのは今の山崎川だろう。
そしてその川名川の北端にある丘陵地を示す処に 東山 の記載があるのだが、

 - 現在は動植物園がある地域を東山と呼んでいるが、そこはもっともっと東だ。

ここが何を隠そう・・・ 桜通と錦通の二つの大通が行き止まった場所 だと言える。


名古屋-昭和 名古屋:昭和初頭
 - クリックすると 「 400年の変遷を地図でみる 」 のサイトを開きます


時代も昭和になると名古屋の街もジワジワと拡大していく様子がありありだけれど、
上で言及の東山の場所がポカンと手付かずなのが面白い。
・・・
そのポカンの中に 丸山村 ( 千種駅の文字の右 ) や、その南に川名村の集落が見える。

 - その北には明治末に創建された日泰寺 ( 創建時は日暹寺 ) 門前の集落が
 - 東に延伸してきた広小路の端に拡がっている。
 - 
 - 名古屋-昭和  「 今池~池下 」
 -   上図:昭和初頭地図の 「 今池~池下 」 部分を拡大、地名を加筆


この昭和初頭の時代、広小路は 「 名古屋駅~覚王山 」 だったんでしょうね。
今池、池下も既に今に繋がる街区を形成していたようだ。
・・・
ふと気付けば、・・・ 蝮ヶ池も馬池 ( 今池 ) も地図から消えている。

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こうなったら、その 蝮ヶ池 ( なんともおどろおどろしい名を付けられたもんだが ) にしろ、
「 今池 」 と転訛する元の 馬池 にしろ、どんな姿だったのか? 気になるよねぇ。

 - 江戸~明治時代の絵図が 愛知県図書館 のサイトにおいてある。
 - 興味ある人は、是非ご自分で愛知県図書館のページで確認して頂きたい。
 -
 - ○ 愛知県図書館:絵図の世界
 -
 - - 嬉しいことに 「 高精細図 」 もあるのだが、ソフトの関係で IE に限られるようだ。
 - - Opera、Firefox、Chrome でも試してみたが、開けず。 ご注意を。


愛知郡村邑全図 053 古井村 「 愛知郡村邑全図 053 古井村 」
 - クリックすると 「 愛知県図書館:絵図の世界 」 のサイトを開きます


さて上図は 210~20年前、現在の今池~池下 となる寛政期の 古井村 である。
地図中央に 馬池 が、右上に 蝮ヶ池 が見える。
・・・
土地の殆どに 「 田・畑 」 の文字。この辺りは新田開発で拓かれた場所なのだ。

 - 元図は西が上なのだが、北上になるよう回転させている。
 - ・・・
 - 図中央の池には名がないのだが、池の横に馬方/馬方新田の名を見ることができる。
 - 現在の今池中学校の場所らしい。
 - 右上に見える池には、蝮池の名が記してある。今の地下鉄池下駅辺りだ。


ついでだから、末森村丸山村 の絵図も見てみよう。


愛知郡村邑全図 073 末森村 「 愛知郡村邑全図 073 末森村 」
 - クリックすると 「 愛知県図書館:絵図の世界 」 のサイトを開きます


上中にドカンとある池は 猫ヶ洞池 である。かなりデカイ。
中央ちょい右に見えるのが新池だろうか。東に伸びている道は、既に今に繋がる形だ。
・・・
絵図の最西にま~し池と読める記載はおそらく 蝮ヶ池 であろう。( 文字のみ、絵はない )
何れにしろここに来て、急に山々の緑が濃くなったことが一目瞭然な絵図である。

 - 元図は南が上なのだが、北上になるよう回転させている。
 - ・・・
 - 猫ヶ洞池だけは他の池と違って、名古屋の広域絵図にも必ず記載されている。


071  愛知郡村邑全図 丸山村 「 愛知郡村邑全図 071 丸山村 」
 - クリックすると 「 愛知県図書館:絵図の世界 」 のサイトを開きます


南北に中央を縦断しているのは、四観音道である。笠寺と竜泉寺を結ぶ。
この道を南に下っていけば、塩付街道に連絡して笠寺観音へと向かうわけだ。

 - こちらも元図は南が上、よって北上になるよう回転させている。
 - ・・・
 - 北に行けば現日泰寺参道の一本西の道に繋がる。
 - 日泰寺の北に「四観音道西/東」の地名が残っている。


ところで上部中央に見えている池が 蝮ヶ池 、つまり今の池下の場所である。

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いやぁようやく前振りが終わったところで、今日は 「 なごやかいだん:名古屋階段 」 二つ目だ。

 - Twitter 使いが羨ましいぜ! ( 嘘、全然思ってないの )

桜通と錦通の行く手を遮るのは 蝮ヶ池 だけではない。その背後の高台の存在も大きい。

 - 上述、江戸時代地図の 「 東山 」 のことだね。

面白いことに池下からアプローチする南面 ( 向陽町 ) は坂道なのだが、
北面に回ればそこは急峻な法面で、結構な段数の階段が立ち現れる。


蝮ヶ池階段 蝮ヶ池上
  K20D + FA31mm Limited / F1.8 - F8



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うわぁぁぁ! ・・・ しまった。実はこの5,6年程訪れていなかったのである。
・・・
言っちゃ何だけど、実にふてぶてしく大雑把な街景の名古屋の街中にあって、
この一帯は密かに残されていた街秘境だったのに、・・・ 眼の前の道がバイパス化。

 - 大事にしている娘が辱めを受けたような惨劇だ。


蝮ヶ池階段 上から見返し ニャァ~
  K20D + FA31mm Limited / F1.8 - F8

階段もこんな安っぽいタイルで造り直されちゃ情緒も風情もありゃしないが、
これは階段の軸線の延長線上に造った名古屋ドームとの薄っぺらい絡め技なのかな。



蝮ヶ池階段 鉤路の角が降り口だ
  K20D + FA31mm Limited / F1.8 - F3.2

2010.02
02
スロープは階段より場所を取る。・・・ なんてことは言わずもがなだな。
・・・
余程の理由がある場合は兎も角、殆んどの町は平たい土地に成長するものだ。
故に普通は街中で道が突如階段になっているなんてもんには出会わない。
多少の起伏は、不便な階段でなく融通の利く坂道となるのは至極全うだからね。

名古屋階段・呼続 なごやかいだん
  K20D + FA77mm Limited / F1.8 - F7.1

そんな中で、ごく稀に階段になっている道がある。見つけると嬉しくなる。

 - 何かしらの理由があるはずだ。
 - 階段があること自体が面白い。が、その理由を探るのもまた面白い。

と言うことで、今日は 「 なごやかいだん:名古屋階段 」 一つ目だ。



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 浜の義作は今日も一人石を抱えて汗を垂らしていた。眼の前の東海道を歩む人々の怪しげな視線も気にならない様子だ。

 年魚市潟(あゆちがた)を挟んで熱田の町の東に松巨嶋(まつこしま)はある。島から突き出た高台の岬にある白亳寺の瓦屋根は松林越しに鈍い光を放っている。その北側のちょっと窪んだ浜には、いつしか数軒の小屋が建ち並ぶようになっていた。

 松林が続く浜の南には白亳寺に続く古くからの鎌倉街道があり、東には熱田に向かう街道が東海道として整備され既に二十数年の年月が経っている。この辺りの村人は白亳寺へのお参りは欠かさなかったが、其れにも益して少しばかり北に行った山崎城跡にある熊野三社にも日々の参拝をするのが常であった。ところがその社が昨年のことであるが、義作の暮らす浜の東に移された。

 社の参道は人の流れに沿うように東海道に向けて設えられたが、それは偶然にも義作の住む小屋に向いていた。これは義作には何かしらの運命と思えたのだろう、幾月か思い悩んでいた義作ではある。そしてある時から村人の不審を他所に、ようやく人が抱えられるほどの石を拾い集めてきては熊野三社の参道を何かしら秘めた眼差しで見上げるようになった。日がな一日、何時までも飽く事無く立ち尽くしている。

 東海道は年々幹線道としての体裁を整えていた。往来も多い。浜に立つ義作の眼の前には人の背丈ほどもある土手が立ちはだかり、眼の先にある社の参道を塞いでいる。忸怩たる思いがある。石を集め始めたのはそれ故、ある計らいを為すためである。義作は参道の鳥居を見上げていた眼を足元の浜に落とすと、これまで集めた石を徐に積み始めた。

・・・

戦前まで階段を上りきった東海道横には小さいけれど 「 義作塚 」 があったらしいが、今はない。

※ 言うまでもなく全て偽作だ。

名古屋階段・呼続 彼が立つのはかつて浜
  K10D + Sigma10-20mm/F4-5.6 - 14mm F11

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名古屋階段 其の壱

名古屋階段・呼続
  K10D + Sigma10-20mm/F4-5.6 - 11mm F11

  - ソフト・フィルターをかけてしまったのでもう一つ、こちらは HDR 風味。
  - 
  - 名古屋階段・呼続

  -   K10D + Sigma10-20mm/F4-5.6 - 11mm F11

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