もう20年近く前になるだろうか、実は私が始めて出合った 「名古屋階段」 がこの階段である。
- あぁ、月日の流れのなんと早いことよ!
その場所はといえば、この青い円で示した場所になる。
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上図で左端のちょうど真ん中に「美術館」の文字が見えると思うが、これは「古川美術館」のことだ。
この道を西に進めば池下の地下鉄駅に当たる。
- 左上に示した薄水色の円で示した場所は、前回記事「末森-階段1」のある場所・・・・・・
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2度目の名古屋で度々飲んでいたのがその池下であって、
おそらくその日も春のうららかな日和に誘われて、夜も遅くまで池下で飲んでいたんだろうと思う。
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家は名東区である。さて帰ろうにも地下鉄は既に無い。財布の中はスッカラカン空っぽだ。
ヨロヨロの足取りで池下から東に向って歩き出す。
途中の坂道に喘ぎながら日泰寺の外縁を廻り込み姫池通を渡る。
- ここもだが、名古屋の街はブロックを跨ぐと道路名が変わるっていうのが実に嫌らしい。
- この道は 「田代本通」 じゃいかんのか!と常々思う。
渡ってまた坂道、登り坂。
しかし春の優しい香に包まれ、懐かしい小路を歩いているような気分でいたことを思い出す。
時刻は既に日を跨いでいる。街灯が僅かに灯っているだけの見も知らぬ夜路。
- 左右に横切る道は前回触れた末森城から北に延びている尾根道と、突如現れたのだ、ズドドドド~ンと。 階段が!!!
暫し呆然、・・・ しかし暖かな香の春に包まれ、見とれて立ち尽くしていた。
- 突如眼の前に現れた The 階段 !!!中央にある手摺は当時もあったのかな?、流石に記憶にはないのだが、
この緑が覆いかぶさっている情景は当時のままのように思う。
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迂闊なことは言えないが、この階段の歴史はそう古いものではないだろうと想像する。
- 前回書いたが、昭和8年時に目ぼしかった道が上の地図の薄いピンク色で示した処。
地図上右端に名古屋気象台があるのが見えると思うけれど、
この気象台が南武平町からこの地に移ってきたのが大正12年 (1923年) のことと言うから、
- 気象台は周辺の影響を極力受けないところに設けられる。
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- 南武平町がどこか?だろうが、今の愛知芸術文化センター辺りらしい。
末森城の東に広がる現在の春里町や日和町、また徳川山町辺りが開発されたのは時代も下り、
昭和も暫くしてからのことではないかと想像する。
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それらの町がそこそこ出来上がり山裾を縫うように道が出来たところで、
その道に取り付くようにようやくこの階段が設らえられたと考えるのが自然であろう。
- 路面に見えるTの字がわかるだろうか。これが現在、山裾東側を南北に走っている道である。
路面Tの字の場所に黄色いポールのミラーがあるが、そこが階段の取り付きだ。
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階段が見える位置まで行ってみよう。
- 実はこの写真、5年前の夏に撮ったものだ。ミラーと階段中央の手摺が無い姿を想像してみたい。
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緑が茂る木々の中にポカンと穴が空いて、そこに実にさり気の無い階段が取り付いている。
- このさり気無さ、人工物であることを忘れてしまうなぁ。正に 「自然との共生」 だ。
- 階段を1/3程登り下の道を見下ろす。
- 趣あるなぁ、瓦塀。今はまだ両脇敷地に開発の手が伸びていないことが何よりの救いではある。
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いつまでこの風情が残るのかどうか知る由もないけれど、
もし止む無く開発の憂き目にあってもこの階段のこの空間だけはなんとか活かしてもらいたいと願うばかり。
是非生き延びて欲しいぞ ・・・

・・・ 僕の好きな階段 ♪