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名古屋トライアングル project

街に仕組まれた幾何学構造・潜在力から、名古屋のまちづくりを思考する私論ブログ

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Kashiwa★da

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2013.07
10
公開から既に10日余が経ってしまいましたが、まだ御存知ない方もおられるはず。
・・・
明治期、昭和初期の名古屋地図を見ることができるのが、

南山大学人類学博物館オープンリサーチセンター : 歴史環境情報基盤

歴史環境情報基盤
※ クリックで当該サイトへ



明治期と昭和初期ですと、大体30年~40年位の時間経過だと思いますが、
この時期の都市開発のスピードは尋常じゃありません。半端ないっ!

クリック一発でその違いを見られるのはなかなかに興奮ものです。

1/20,000 ~ 1/30,000 位の精度でしょうか。


歴史環境情報基盤
※ クリックで拡大します


他に戦前なのか戦中なのか、まだ米軍にやられる前の名古屋の街の航空写真も拝めます。

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ついでに。
・・・
40年程前の1974年の航空写真は、Google Maps で拝めます。
こちらもなかなか面白いです。名東区、天白区のまっさら具合と言ったら・・・

Googleマップを使って国土地理院の地図を見る





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2013.01
23
遠い地平線を越えて、ぷかぷかと漂う雲の衣に心を休める時、
はるか雲海の下を彩りも鮮やかに流れ行く家並みは、
弛みない人間の営みを告げています。
団欒の灯を燈すはてしない光の海を、豊かに立ち昇る芳香に心を開けば、
廻り来る季節の物語も聞こえてくる悠久の佇まいの、なんと饒舌なことでしょうか。
光と影の境に消えていったはるかな地平線も瞼に浮かんでまいります。





NHK の「世界ふれあい街歩き」はいい番組だ。他の追随を許さない。
・・・
民放にはこの手の発想が皆無のようであるし、
世界ふれあい街歩き」こそは私にとっての唯一無二のTV番組と言ってよかった。

・・・・・・
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ところが、ひょんなことから2年ほど前に素晴らしい番組を発見したのだ。
それも、何と YouTube 上で。
・・・
途切れることなく今でも更新されているので、ここに紹介することにしたい。
差し当っては、私も10年近く住んで想い入れもあるこの地など如何だろう。


KYOTO - CRUISE 2009




京都 」 の映像は他にもあるのだが、私はこの 2009年版が好きだ。

仕事に疲れた時の一服。 時間も最適、リフレッシュ効果は抜群である。
出会う人とのおしゃべりはない。ナレーションもない。
歩くその場の日常がただただ映し出されていくだけだ。素の美しさが時を刻んでいく。


もう一篇、私の好きな 「 アメ横 」 も挙げておこう。
アメ横 」 も他にもあるのだが、こちらの人の喧騒具合が堪らない。


HD 720p walking in tokyo,ueno



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ところで、この World-Cruise はこれまでにどれ位アップされているのかしら?
と改めて覗いてみると、・・・ こりゃスゴイ!

YouTube - World-Cruise

World-Cruise


こんなにあったのかと驚くほどの 「 街歩き 」 となっていて、
欲望に勝てずに幾つかはしごなどしてしまうと仕事が疎かになっている。
くれぐれもその点は注意が必要だ。

World-Cruise

Site 「World-Cruise」



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※ 追記 130604
・・・
昨年から少しづつ更新が少なくなって?と思っていたら、どうもこちらに完全移行されているようで。
おやまぁ・・・なんだか納得の JAL 御用達です。
○ JAL on YouTube



ではそろそろ、おやすみなさい。


 - 夜間飛行の雲間に見え隠れする街の灯りは、
 - 遠ざかるにつれ次第に月明かりの成層圏へ溶け込んで行きます。
 - お送りしましたこの街並みも美しく、あなたの夢に溶け込んでいきますように。
 - またいつか、午前0時にお会いしましょう。



2012.11
22

八事 興正寺

Seesaa - 八事 興正寺

※クリックで別室ブログのページを開きます。


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大きい地図・ルート検索  ( powered by ゼンリン地図 いつもNAVI )



八事に鎮座する興正寺は 1686年(貞享3年)の建立と言います。
中でも現存している国の重要文化財に指定の五重塔は 1808年の建立、
既に200年余の年月を重ねていることになります。
・・・
今のように開発の手が入る前、この地はどのような情景をしていたのでしょう?
そんな想いを胸に夕陽を背負った五重塔に眼を向けます。





以下は、別室ブログページでどうぞ。


2012.10
16
もう20年近く前になるだろうか、実は私が始めて出合った 「名古屋階段」 がこの階段である。

 - あぁ、月日の流れのなんと早いことよ!

その場所はといえば、この青い円で示した場所になる。
・・・
上図で左端のちょうど真ん中に「美術館」の文字が見えると思うが、これは「古川美術館」のことだ。
この道を西に進めば池下の地下鉄駅に当たる。


  末森-階段2 地図
   - 左上に示した薄水色の円で示した場所は、前回記事「末森-階段1」のある場所

・・・・・・
・・・・・・

2度目の名古屋で度々飲んでいたのがその池下であって、
おそらくその日も春のうららかな日和に誘われて、夜も遅くまで池下で飲んでいたんだろうと思う。
・・・
家は名東区である。さて帰ろうにも地下鉄は既に無い。財布の中はスッカラカン空っぽだ。
ヨロヨロの足取りで池下から東に向って歩き出す。
途中の坂道に喘ぎながら日泰寺の外縁を廻り込み姫池通を渡る。

 - ここもだが、名古屋の街はブロックを跨ぐと道路名が変わるっていうのが実に嫌らしい。
 - この道は 「田代本通」 じゃいかんのか!と常々思う。

渡ってまた坂道、登り坂。
しかし春の優しい香に包まれ、懐かしい小路を歩いているような気分でいたことを思い出す。
時刻は既に日を跨いでいる。街灯が僅かに灯っているだけの見も知らぬ夜路。


 末森-階段2
   - 左右に横切る道は前回触れた末森城から北に延びている尾根道


と、突如現れたのだ、ズドドドド~ンと。 階段が!!!
暫し呆然、・・・ しかし暖かな香の春に包まれ、見とれて立ち尽くしていた。


 末森-階段2
   - 突如眼の前に現れた The 階段 !!!


中央にある手摺は当時もあったのかな?、流石に記憶にはないのだが、
この緑が覆いかぶさっている情景は当時のままのように思う。

・・・・・・
・・・・・・

迂闊なことは言えないが、この階段の歴史はそう古いものではないだろうと想像する。

 - 前回書いたが、昭和8年時に目ぼしかった道が上の地図の薄いピンク色で示した処。

地図上右端に名古屋気象台があるのが見えると思うけれど、
この気象台が南武平町からこの地に移ってきたのが大正12年 (1923年) のことと言うから、

 - 気象台は周辺の影響を極力受けないところに設けられる。
 - ・・・
 - 南武平町がどこか?だろうが、今の愛知芸術文化センター辺りらしい。

末森城の東に広がる現在の春里町や日和町、また徳川山町辺りが開発されたのは時代も下り、
昭和も暫くしてからのことではないかと想像する。
・・・
それらの町がそこそこ出来上がり山裾を縫うように道が出来たところで、
その道に取り付くようにようやくこの階段が設らえられたと考えるのが自然であろう。


 末森-階段2
   - 路面に見えるTの字がわかるだろうか。


これが現在、山裾東側を南北に走っている道である。
路面Tの字の場所に黄色いポールのミラーがあるが、そこが階段の取り付きだ。
・・・
階段が見える位置まで行ってみよう。


 末森-階段2
   - 実はこの写真、5年前の夏に撮ったものだ。


ミラーと階段中央の手摺が無い姿を想像してみたい。
・・・
緑が茂る木々の中にポカンと穴が空いて、そこに実にさり気の無い階段が取り付いている。

 - このさり気無さ、人工物であることを忘れてしまうなぁ。正に 「自然との共生」 だ。


 末森-階段2
   - 階段を1/3程登り下の道を見下ろす。


 末森-階段2
   - 趣あるなぁ、瓦塀。



今はまだ両脇敷地に開発の手が伸びていないことが何よりの救いではある。
・・・
いつまでこの風情が残るのかどうか知る由もないけれど、
もし止む無く開発の憂き目にあってもこの階段のこの空間だけはなんとか活かしてもらいたいと願うばかり。

是非生き延びて欲しいぞ ・・・

 末森-階段2 ・・・ 僕の好きな階段 ♪


2012.07
01
街の中心部から 広小路を東へ 進み、覚王山も過ぎれば 末森 の地がある。

 - 町名としては 末盛 の名で残る。

前回書いた 蝮ヶ池 (池下) からこの 末森 にかけては起伏のある地形が続くが、
このことは前回記事で江戸期の絵図を元に前回述べた。興味あれば参照して頂ければと思う。

 ○ 名古屋階段 其の弐 ・ 蝮ヶ池

そうような地である。戦国時代に信長の父、織田信秀が東方への防御のため城を築く。
・・・
城そのものは短命であったが、未だ残る空堀が直に見れる城址として城好きには知られた存在である。
周辺より小高くなっているその地には、現在 城山八幡宮 が鎮座している。

城山八幡宮 境内から二の鳥居を見下ろす


その末森城については ○ Wikipedia : 末森城 (尾張国) などを参考できるが、
この地の地理的な要素に関心を向ければ、当該 城山八幡宮 の公式サイトが最も詳しそうだ。


   城山八幡宮_公式サイト  ○ 城山八幡宮 公式サイト > 御由緒ページ


末森城古図 (北を上にしてある)や江戸末期の 末森城址画 等は、古の姿を垣間見るのに十分である。
・・・
末森城古図に描かれている縄張りは現在の境内図にかなり整合しているし、
末森城址画に見られるこの地の地形の様子など、画を見なければ到底わからないものがある。

 - 画はおそらく丸山神社あたりから眺めた風景であろうか。

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さて今回の 名古屋階段三つ目 となる肝心の階段は、これだ。

 - 「名古屋階段」 は一般道にある階段を拾い上げたい。故に冒頭に揚げた参道階段は適応外だ。

末森-階段1 城の空堀の外縁をぬうように


ここで上に紹介した 末森城古図 を再度眺めてもらいたい。
・・・
末森城の西側空堀の外縁に沿いながら北東に伸びていく尾根道がある。
この尾根道が、西側の南北に走る谷道に取り付くようにこの階段があることが判る。現在地図に示す。


   末森-階段1 地図
   - 左上に示した薄水色の円で示した場所は、前回記事階段のある場所


ところで、この末森の場所は今の様な開発に至る以前はどうだったのだろうか? 
気になるところである。そこで地図上に昭和初期にあった道をピンクの線で落としてみた。

 - 参考にしたのは、Network2010 というサイトの次のページにある地図だ。
 - ○ Network2010 - 昭和初期の名古屋「配水池及配水塔(東山給水塔)」
 - ・・・
 - ページ中程にある 「昭和8年頃の名古屋」 の 「周辺拡大図」 を参考にする。
 - 厳密に落としたわけでもないし、私の推測によるものもあるので許されたい。
 -
 - - Network2010 は度々ペ-ジ改変をやっているようで、
 - - 以前あった明治、昭和初期の地図がどこに行ったのか、探し回るがわからなかった。
 - 
 - ・・・・・・
 - ・・・・・・
 -
 - ついでに、
 - 昭和初期の広小路(末盛通)の写真を見つけたので、個人ページだがリンクを貼らせて頂く。
 - ○ TEL旅 > 旅トップ > 愛知トップ
 - 3/4 程ページを下がった辺りに「昭和初期の本山~覚王山」の黄色に変色した写真が掲載。
 - ・・・
 - どう見てもどこかの農村の一本道という風情である。
 - 
 - - 元の写真がどこかにあるかと検索したけれど捜しきれなかったので、このページのお世話になる。

この階段、地図で確認しなければ茅葺門のある建物へのアプローチ道に錯覚してしまいそうだ。
一段一段、足を進める。

末森-階段1 遊んじゃいけないそうだ。

30数年前に始めて訪れた嵯峨化野の地形、おぼろげな記憶の底に眠っていたその雰囲気を思い出した。
階段を上りきると、城山八幡宮へと続く道が眼の前に現れる。

末森-階段1 右手は今に残る空堀

振り返ってみよう。

末森-階段1 チラリと下の道が

この階段がずっと古からあるものなのか時代が下って作られたものなのかとんと不明ではあるが、
今ある安っぽいガードレールをどうにかすれば、滅多に味わえない散歩道になること請け合いだろう。

末森-階段1 電燈ポールもいただけないな

太陽光発電でECO
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